『建築東京』1704 号巻頭言<Open Café>原稿 170306

建築家岡田新一から学ぶこと、継承すべきこと

(株)岡田新一設計事務所 取締役社長執行役員 柳瀬寛夫

岡田新ーは使命感の強い建築家であった。

 建築の設計と併行して、常にその都市の望ましい姿を明示していく行動があっ
た。それは規模の大小にかかわらず、追加報酬を求めるでもなく、私の立ち会った
例でいえば、山形県高畠町立『浜田広介記念館(770㎡)』の設計時にも、町に
泊まり込み、ほぽ全域を踏破し歴史を調べ、町長に今後のまちづくりの方向性
(定住環境としてのグランドデザイン)を提言していた。囲炉裏を囲んで一晩話し合っ
た時の町長と岡田のまなざしは今でも忘れない。後年、NPO法人『日本の未来を
つくる会』を主宰し、国土のグランドデザインを描くことの重要性を各界に提言して
回った活動は、長年の実践に裏付けられた使命感に基づくものであったといえる。

 東京大学吉武泰水先生を生涯師事し、錚々たる建築計画の専門家と親交が
深かったこともあり、調査研究・システム思考を重視した。建築や都市のつくり方
の要諦を“洞察→予見→創造”と表現し、深い『洞察』を伴う調査から導かれる
『予見』があって、未来性のある「創造」は生まれると説いた。”公共の設計とは
『建築計画学』ではなく『建築計画』を行うこと”が持論であった。

 岡田は論文を多く雑誌等に発表しており、シリーズ本も刊行しているので、その
思想の変遷を辿ることができる。言葉の表現にも長けていた。SD1981年9月
号に初出された『抽象と細密』はその代表作のひとつであり、建築に留まらず日本
文化論としてもいずれ再評価されるのではないかと予想する。「抽象Jは形態や空
間を情成する枠組であり、『細密』はその精神性の深部を捉えた表現として共存
し、建築の質を高める。

 例えば、最高裁判所庁舎は、平等であるべき人が人を裁かざるを得ない厳しい
場として、複数の文化固にみられる、森の一角を切り開き天空光の下で裁判を
行った事例をイメージのもとにしている。その空間を構成する『抽象』概念は、森
の生命ともなる水を象徴するガラス製照明器具など『細密』と呼応する。
岡田の『細密』が『抽象』の本質に的確であり、豊饒な詩情も湛え続けられたの
は、妻であり生涯のデザインパートナーでもあった弘子の卓越した感性が、発想の
原点から支えていたからでもある(事例はOSデザインシリーズ『建築の肉体化へ
の道程』〈彰国社刊〉に詳しい)。

 このような抽象と細密の概念は、全体に細密を施すことのできた古典建築の時
代のスケール感や時間感覚を超えた、現代都市における現実的な設計システム
として主題化されたものであるが、日本古来の文化の特性から多くを学んでいる点
でも、絶えず問うべき永続性を持つと考える。
晩年、予算が乏しくても良質な建築をつくる秘訣はなにかとの聞いに対し、ひとこ
と『抽象』と答えていた。それは洞察、予見を通しつつ、形態の抽象まで詰め、細
密(あるいは使い手の軌跡)を受け入れる枠組を創造することと受け止めている。
岡田の生涯300作品の残存率の高さがそれを指し示しており、所員一同が共有すべき
方向性の一つがここにある。

(株式会社岡田新一設計事務所は、平成26年10月に岡田新一、平成28年10月に岡田弘子
が他界した後、その薫陶をともにした精鋭たちにより継承されている。現在は津嶋功と
柳瀬寛夫の社長2人体制。)

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